牧師・田崎 敏明のアホ徒然日記

初めて聞いた人にも分かるように、
日常用語で、聖書の話を伝える働 きをしている牧師です。
時折、アホなことも書いておりますが、
まっ気楽に読んでみてっ。
コメントも、もらえると嬉しいです!

「沈黙」をもってしても、寄り添ってくださる神

昨日に引き続き、遠藤周作「沈黙」について。
この小説を読んだことがない方は、
タイトルが「沈黙」だけに、ひょっとすると、
神様は私たちが辛い時も助けを与えないで
沈黙されている…という風な小説
と思っている方もおられるかもしれない。


しかし読み込んだ方ならば、
いや、実はその反対のことを書いてあるのだと
分かっておられると思います。


私たちが辛い時、
神様が具体的な助けを与えてくださっていないように思う時、
それを人が「神の沈黙」と呼ぼうが、
神はその人と共におられ、
寄り添っておられるのだ。
そこにこそ、神と人との深い関係があるのだ。


足跡(フットプリント)という、素晴らしい詩があるではないか。


「あしあと」
ある夜、私は夢を見た。私は、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上に二人のあしあとが残されていた。
一つは私のあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
私は砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
私の人生でいちばんつらく、悲しいときだった。
このことがいつも私の心を乱していたので、私はその悩みについて主にお尋ね
した。「主よ。私があなたに従うと決心したとき、あなたは、すべての道にお
いて私とともに歩み、私と語り合ってくださると約束されました。
それなのに、私の人生の一番辛いとき、一人のあしあとしかなかったのです。
一番あなたを必要としたときに、
あなたがなぜ私を捨てられたのか、私にはわかりません」
主はささやかれた。
「私の大切な子よ。私はあなたを愛している。
あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みのときに。
あしあとが一つだったとき、私はあなたを背負って歩いていた。」



一日ワン・クリックをお願いいたします。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

×

非ログインユーザーとして返信する

あと 2000文字

※は必須項目です。