牧師・田崎 敏明の信仰徒然

初めて聞いた人にも分かる言葉で、福音を伝える。
キリスト教会用語ではなく、
普通の日本語で福音を伝える働 きをしております。ぜひご支援ください!

そんな働きの中で感じたことを、ありのまま綴っております。

「先生」よ、「先生と呼ばれるほどの馬鹿」から早く抜け出しなさい。

「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」
ということわざがあります。


「牧師」も「先生」と呼ばれたります。
ある時、「牧師先生様」と呼ばれた。(びっくり)
 
私も若い頃、牧師となった折には、
(アホなので)、自分が何か偉い者にでも
なったかのような痛い勘違いを起こしたものです。
しかし、年を重ねるうちたに、
もうそんなことはどうでもよくなった。
なんと呼ばれるとか、肩書きとか、
そんなもの、もうどうでもよくなった。
自分に出来ることを、
たんたんとやり続けたいだけだ。


若い頃、牧師になった折には、
多くの人々の前で、他の牧師を差し置いてでも、
自分が説教したいと思った。
しかし、年を重ねるうちに、
もうそんなことはどうでもよくなった。
今は、人前で話をしろと言われれば、
いくらでも出来るが、
今はそんなことよりも、一人や少人数の方と、
一人ひとりと、神様の話をしたいのだ。


もしも私と同じように、
「先生と呼ばれる馬鹿」がいらしたら、
一刻も早くそこから抜け出して、
働きをしてほしいものだと思う。


「実るほど頭を垂れる 稲穂かな」
である。