牧師・田崎 敏明の信仰徒然

初めて聞いた人にも分かる言葉で、福音を伝える。
キリスト教会用語ではなく、
普通の日本語で福音を伝える働 きをしております。ぜひご支援ください!

そんな働きの中で感じたことを、ありのまま綴っております。

十字架の形をした、戦国時代の墓石。

「すいません、大友宗麟の奥さんのお墓はどれでしょうか?」
臼杵市の臼杵城近くの大橋寺に行ってきました。
そして、社務所でそう尋ねました。
大友宗麟の2番目の妻(通称・奈多夫人)のお墓があるはずのお寺です。
すると、ちょうどお昼ご飯を食べていた若いお坊さんが、
その手を止めて、わざわざ出て来てくれて、
「あっ、案内します。…こちらです」
と丁寧に案内してくれました。ありがたいことです。
「これです」
と教えられた墓石を見ると、
思ったよりも小さく、
また回りのお墓よりも細く見えました。私が思わず、
「ああ、思ったより小さいんですね」
と言うと、お坊さんも、
「そうなんです」
と答えました。そして、お坊さんの次の言葉に、
私はその場に立ち尽くしました。
「(宗麟が)クリスチャンだったので、
お墓も十字架の形になっています」 

…細く見えたのはそのためだった。
確かにその他とは違う形のお墓は、
「十字架」形だったのです。


お坊さんが社務所に帰った後、
私は3段ほどの石段にしばらく腰を下ろしていました。
そして奈多夫人のお墓に向かって、思わず、
「あんたも…いろいろと苦労したねぇ」
などと声を掛けました。(俺は年寄りか…笑)
・・・・・・・・・・・・・
宗麟と30年間連れ添い、子を7人もうけた奈多夫人。
仲の良い夫婦だったのだと思います。
しかし、キリシタンとなったのはいいが、暴走し、
人としてどうかと思えるようなことばかりを仕出かす宗麟。
家臣も民衆も不信感を増しますが、
もちろん殿に物が言えるはずはありません。
そんな中、奈多夫人だけは、
宗麟にま正面から忠言したに違いありません。
すると、宗麟はそれに耳を傾けるどころか、
嫌って奈多夫人を離縁してしまいます。
キリシタンの文書には、
キリシタンの宗麟と、宮司の娘の奈多夫人が
激しく対立したとしか書き残されていないようですが、
人の心はそんな白黒で割り切れるものではありません。
宗麟と奈多夫人、別れた後も、
実は心の中で共に相手を思いあっていたに違いないのです…。

奈多夫人も、晩年はキリシタンにも好意的だったようです。
キリシタンの侍女がロザリオを忘れたのを
教会にまで届けさせたり、
イエス・キリストに祈りを捧げるようになり、
安息日にあたる日曜日には侍女達には
働かなくてもいいと言ったということです。
自身はキリシタンとはならなかった奈多夫人のお墓が
十字架なのは、宗麟の想いの現れなのか…。


そんなことを考えながら、
しばらく奈多夫人の墓石の前で座り込んでいました。
それから、
♪一番近くにいるのに 一番分かり合えない
こんなに愛した僕の すべてが言い訳になる♪

と口づさみながら、
大橋寺の駐車場を後にし、奈多夫人の故郷、
国東半島の奈多海岸に車で向かいました。(続く)