聖書にある「全てのことについて感謝しなさい」は、何でもかんでも感謝することとは違う。
聖書には
「いつも喜んでいなさぃ。絶えず祈りなさい。
全てのことについて感謝しなさい」
もちろんこれは、
なんでもかんでも100%感謝しなさい
ということではないと思う。
感謝できないことだって、世の中には多々ある。
もしそうなら、私たちは
「絶えず24時間お祈りしないといけない」
ことになるし、
「いつも一日中ニコニコして
喜んでないといけないい」
ことになる。
「いつも喜んでいなさぃ。絶えず祈りなさい。
全てのことについて感謝しなさい」
とは、そういう意味ではないと思う。
聖書の御言葉も柔らかな心で読むことが
寛容なのだとつくつぐ思う。
「いつも」「絶えず」「全てのことに」は、
強要ではなく心の方向性を示すのだと思う。
たとえば「絶えず」は、
途切れることない連続性ではなく、
途切れつつも続ける連続性だと思う。
そうすると、
感謝すべきことにちゃんと感謝する。
ああだこうだ言う前にまずお祈りする。
たとい悲しみの時であっても、
心の底にある信仰による喜びによって支えられる
生活になって来るものなのだ。