お笑い牧師・田崎敏明Blog

アホな記事、真面目な記事、取り混ぜてお届け中。

嗚呼、男と女。キリシタン大名・大友宗麟と奈多夫人の場合。

【写真】大友宗麟の城、臼杵城から市内を見下ろす。


当時は、大友宗麟の臼杵城の周りは海でした。
 海の中に立つ強固な出島城だったそうです。
 正面に見える県立臼杵高校あたりが
当時の海岸線だったようです。


神社の娘であり、宗麟の信仰の有り様を心配して
いろいろと苦言を呈していた奥方の奈多夫人を
一方的に離縁した宗麟は、この城を出て、
 新たにキリシタン女性(奈多夫人の侍女)と結婚して、
その海岸線(臼杵高校あたり)に新居を構えました。


宗麟、お前なぁぁぁぁ


近すぎだろっ! 


城に残された奈多夫人からもハッキリと見える場所です。
 人の出入りさえ見えそうな所です。
そんな処に新しい夫人との新居を構えた宗麟。
 奈多夫人の気持ちなど考えなかったのか、
 嫌がらせだったのか? 
それとも、あえて自分に気をひこうとしたのか。
未練たらったらだったのか?
どっちにせよ、宗麟、あんたって、
ほんと最低の男だよっ!


とは言え、奈多夫人は、
なんだかんだ言っても宗麟のことを
心配していたのでしょうし、
 宗麟も宗麟で、自分よりも正論を語る
奈多夫人のことを煙たくは思っていましたが、
その実、心の底では
慕っていたのかもしれません。


大友宗麟、苦しみと悩みの中で神と出会った男。


奈多夫人も晩年は、
キリシタンに好意的な態度に変わったようです。
そして最後の頃、臼杵に島津軍が攻めて来た時は、
 宗麟も奈多夫人と共に臼杵城内におり、
 臼杵の多数の住民を城内に避難させて
世話をしました。そのような行為は、
 大名としては異例のことだったようです。


この頃には、宗麟と奈多夫人、
 2人の心は和らいでおり、
 共に力を合わせて民の世話をしたのではないでしょうか。
しかし城内に流行った疫病にかかり、
ふたりともその後すぐに、
 数ヶ月の差でこの世を去って行きました。
 大友宗麟と奈多夫人に見る、ああ男と女。


【奈多夫人のお墓】
案内してくれたお坊さんが
「十字架の形をしています」と説明してくれた。

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