牧師 田崎敏明の、インターネット教会

還暦牧師のブログ。共に励まし合うためのインターネット教会です。

人は、イエス・キリストを信じるだけで救われるか?


「はい、信じるだけで救われます」


「あなたがたは、神様の寛容さのゆえに、
キリスト様を信じることによって救われたのです。
しかも、そのキリスト様を信じることすらも、
あなたがたから自発的に出たことではありません。
それもまた、神様からの贈り物なのです。
救いは、私たちの良い行いに対する
報酬ではありません。ですから、だれ一人、
それを手柄にして、誇ることはできません。」
(聖書 エペソ人への手紙2:8,9)



イエス・キリストを信じるだけで救われて、
決して地獄に落ちることなく、
死んでも霊は天国において神の御前で生きると、
聖書にははっきりと記されています。


 「救いとか、そんな簡単なことじゃないだろう」
と言われるかもしれません。
しかし、神は罪にまみれ、
罪から全く離れることの出来ない私たちのために、
行いではなく、信じるだけで救われるという
「恵みによる救い」
の道を用意してくださいました。
 
行いによって救いを得ると努力しておられる方に
対しては、私は他意なく立派な方だと尊敬します。
しかし、少なくても私のようなボンクラには、
このイエス・キリストの恵みによる救いが
有難いのです。


イエス・キリストを信じるということは、
「神の一人子イエス・キリストが
私の罪の罰を身代わりとなって
十字架でかかってくださったこと、
そしてその3日目に復活されたことを信じる」
ということです。それだけで救われます。


「じゃあ、それで救われるんだったら、
いくら罪を犯してもいいのか?」
ということにはなりません。
「薬あればとて毒をこのむべからず」です。
 実際、
「俺クリスチャン。
もう信じただけで救われているから、
何やってもOK」
というクリスチャンなどはいません。


「しかし、聖書には、ただ信じるだけではなく、
悔い改めて信じなさいと書いてあります。
悔い改めることが必要なのでは?」
と言われる方もいらっしゃるでしょう。
もちろん私たちが日常生活上で、
いろいろと反省して向上心を持って
良き行いを目指して生活することは大切です。
しかし、聖書が言う、
救われるための「悔い改め」は、
「メタノイヤ」という言葉が使われています。
これは、心の方向性のことを示す言葉です。
それまでイエス・キリストを信じなかった心を、
イエス・キリストを信じる心に変えるのが、
救われるための「悔い改め」なのです
そして、救われるために良い行いに
励もうというのではなく、
救われたことが動機となって、
良い行いをするようにしよう…となるのです。
 
信じるだけで救われる…
なんとも愚かな教えかもしれません。
しかし、神はその愚かな宣教の言葉で、
人々を救おうと定められたと、
聖書にも書いてあります。

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