お笑い牧師・田崎敏明Blog

アホな記事、真面目な記事、取り混ぜてお届け中。

『このことさえなければ…』ということが、人を作る。

聖書の中に、
 「牛がいなければ飼葉おけはきれいだ。
しかし牛の力によって収穫は多くなる」

と、書いてあります。
 日本のことわざにも、
 「虎穴に入らずんば 虎子を得ず」
とありますね。


『このことさえなければ、
私の人生バラ色なのにっ…』
と思えるそのことこそ、
 実はあなたの人生にとって
大切なことなのかもしれません。


『あの人さえいなければ…』
と思う人が、あなたの人生を、
 深みのあるものに
造り変えてくれているのでしょう。



『なんでこんな忙しい時に、
こんなことを私に頼むんだよ…』
と思うその頼まれ事こそ、
実は神様があなたに託された、
 本当にやるべき働きなのかもしれませんね。

「聖書にはこう書いてあるっ!」と大声上げる人よりも、むしろ物静かな人からの方が…

「(イエス・キリストは)争うこともなく、
叫ぶこともせず、
大路でその声を聞く者もない。
彼はいたんだ葦を折ることもなく、
くすぶる燈心を消すこともない、
公義を勝利に導くまでは。
異邦人は彼の名に望みをかける。」(聖書)

やたら
「聖書にはこう書いてある! こうも書いてある!」
と大声をはり上げる人もいるが、
割とそういう人からは、
何もグッとくるものを感じなかったりする。


むしろ、物静かな人から、
キリストの香りや、聖書の御言葉の麗しさが
流れてくることの方が多い。
そしてそっちの方が断然カッコいいぜっ!!

「ウサギと亀」って、別に競争する必要ないじゃん…

実は、少し大きめの亀が飼いたいのです。
ウサギと亀が歩いている教会…(笑)


「ウサギと亀」のお話は有名ですね。
いろいろな解釈、
いろいろな教えがそこからなされています。


さて、私・田崎説によると、


「そもそも、別にウサギと亀が
競争する必要ないじゃん!
生きてる世界が違うのだから」


です。


今日では、
「ゆるキャラ」のコンテストなどもあります。
 「ゆるキャラ」にさえ
競争をさせてしまう人間様っていったい…。
 別にいいけど、別に他人事だし(笑)

♪一番近くにいるのに 一番分かり合えない こんなに愛した僕の すべてが言い訳になる♪


「すいません、大友宗麟の奥さんのお墓は
どれでしょうか?」
大分県 臼杵市の臼杵城近くの
大橋寺に行ってきました。
そして、寺務所でそう尋ねました。
 大友宗麟の2番目の妻(通称・奈多夫人)の
お墓があるはずのお寺です。
すると、ちょうどお昼ご飯を食べていた
若いお坊さんが、その手を止めて、
わざわざ出て来てくれて、
「あっ、案内します。…こちらです」
と丁寧に案内してくれました。ありがたいことです。
「これです」
と教えられた墓石を見ると、
 思ったよりも小さく、
また回りのお墓よりも細く見えました。私が思わず、
「ああ、思ったより小さいんですね」
と言うと、お坊さんも、
「そうなんです」
と答えました。そして、お坊さんの次の言葉に、
 私はその場に立ち尽くしました。
「(宗麟が)クリスチャンだったので、
お墓も十字架の形になっています」
 
…細く見えたのはそのためだった。
 確かにその他とは違う形のお墓は、
 「十字架」形だったのです。


お坊さんが寺務所に帰った後、
 私は3段ほどの石段に
しばらく腰を下ろしていました。
そして奈多夫人のお墓に向かって、思わず、
「あんたも…いろいろと苦労したねぇ」
などと声を掛けました。(俺は年寄りか…笑)
・・・・・・・・・・・・・
宗麟と30年間連れ添い、子を7人もうけた奈多夫人。
 仲の良い夫婦だったのだと思います。
しかし、キリシタンとなったのはいいが、暴走し、
 人としてどうかと思えるようなことばかりを
仕出かす宗麟。
 家臣も民衆も不信感を増しますが、
もちろん殿に物が言えるはずはありません。
そんな中、奈多夫人だけは、
 宗麟にま正面から忠言したに違いありません。
すると、宗麟はそれに耳を傾けるどころか、
 嫌って奈多夫人を離縁してしまいます。
キリシタンの文書には、
キリシタンの宗麟と、宮司の娘の奈多夫人が
激しく対立したとしか
書き残されていないようですが、
 人の心はそんな白黒で割り切れるものでは
決してありません。
 宗麟と奈多夫人、別れた後も、
 実は心の中で共に相手を思いあっていたに
違いないのです…。


奈多夫人も、晩年はキリシタンにも
好意的だったようです。
キリシタンの侍女がロザリオを忘れたのを
教会にまで届けさせたり、
イエス・キリストに祈りを捧げるようになり、
 安息日にあたる日曜日には侍女達には
働かなくてもいいと言ったということです。
 自身はキリシタンとはならなかった
奈多夫人のお墓が
十字架なのは、宗麟の想いの現れなのか…。


そんなことを考えながら、しばらく
奈多夫人の墓石の前で座り込んでいました。
それから、
♪一番近くにいるのに 一番分かり合えない
 こんなに愛した僕の すべてが言い訳になる♪

と口づさみながら、
 大橋寺の駐車場を後にし、奈多夫人の故郷、
 国東半島の奈多海岸に車で向かいました。

良心を麻痺させる信仰


世の中には誰ひとり完全な人はいません。
そんな当たり前のことさえも見失いさせ、
良心を麻痺させてしまう信仰も、
世の中にはある。気をつけたいものだ。