牧師・田崎 敏明の信仰徒然

初めて聞いた人にも分かる言葉で、福音を伝える。
キリスト教会用語ではなく、
普通の日本語で福音を伝える働 きをしております。ぜひご支援ください!

そんな働きの中で感じたことを、ありのまま綴っております。

「聖書にはこう書いてある」と言うのは、クリスチャンの常套句。それをどんな思いで言うかが大事。

夫 
「聖書には、妻は夫に従えと書いてあるんだぞっ!
 オレに従えよっ!」
妻 
「あら、聖書には、
夫は妻を愛しなさいと書いてあるわよ。
もっと私に優しくしなさいよっ!」



サタンは、「聖書にはこう書いてある…」
と言ってイエス様に論議をしかけ、
誘惑しようとしたことが、
聖書にも記録されてあります。


「聖書にはこう書いてある」
というのは、クリスチャンが多く用いる
常套句の一つでもあります。


しかし、肝心なのは、
それをどういう心で語っているのかです。


人を裁いたり、自分の意見を正当化するために
そう語るのであっては、とても危険です。

それを「愛」を持って語っているのかが、
実は一番肝心なのです。


「愛によって働く信仰だけが大事なのです。」
(ガラテヤ5:6)

人はみんな心優しき罪人。それゆえ悩み、絶望し…そして、もっと優しくなって行く。

人はみんな本当は心優しき罪人。
それゆえ悩み、絶望し…
そして、もっと優しくなって行く。


人の罪深さは、50歩、100歩。
それを実行してしまうか、思いとどまるか、
表に現れるか、隠されているかの違い。
自分も同じ状況、同じ立場に立たされたら、
同じことをやつてしまうかもしれない…

だから、間違いを犯してしまった人、
失敗してしまった人のことを、
一方的に非難しないが良い。

想定外も、イエス様の御手の中

イエス様がカリラヤ湖畔の山で、
お話になったり、病人を癒しておられました。
そこに実に多くの人々が集っている状況が
3日間ほど続いていました。
集まって来ていた人々は、
ピクニック程度のお弁当は持参していたかもしれませ。
しかし、3日間の食料など準備はしていなかったでしょう。
想定外のことであったでしょう。
お腹が空いたことでしょう。

それでイエス様は、そこにあったわずかなパンを祝福して、
それを裂き始められました。すると、それが膨れ上がり、
全ての人々が満腹するほど食べられたという
奇跡が行われました。


人生には、自分の予定が狂うこともあるでしょう。
想定外のことも起こるでしょう。
この苦しみが長く続くなんてと思うことも。
しかし、全てのことが、イエス様の御手の中にあって、
そこにイエス様の助けが用意されていることを、
いつも覚えて生きましょう。

嗚呼! 男と女

女性
「私そんなこと聞いてないわよ。そんな大事なことは、
もっとちゃんと早く言ってよねっ!
あなたっていつもそうなんだからっ!」


男性
「だから、今言ってるじゃないかっ!」


そんな男と女の会話が、
今日も日本の何処かでなされているはずだ(笑)


・・・・・・・・・・・・・

ここで、女性に残念なお知らせです。
男のどうしようもなさは、
そうそう簡単に変わるものではありません。


いや、男であれ女性であれ、
私であれ、あなたであれ、人というものは、
そうそう簡単に変わるわけではありません。


「自分が変われば相手も変わる」
とよく申しますが、いやいや、
仮にもしあなたが変わったとしても、
相手はそうそう簡単に変わるものではありません。
あなただって、そうそう変わることはないと思います…笑)


・・・・・・・・・・・・・

人間関係とは、変わることのない
「頑固者」同士の交流なのです。
「一致」を求めるよりも。
変わることのない相手を
「受け留める」ことの方が大事です。

餅を捏ねるように優しく…

もうずいぶん前だが、
教会で一人の女性に少々厳しいことを言った時のこと。その子が、
「わたし今、先生から、餅つきのお餅みたいに叩かれてるっ」
と言いました…。
そしたら、それを横で聞いていた別の女性が、
「お餅なら、どうせなら、優しく捏(こ)ねて欲しいよね~」
と言いました。
なんか、この子たち、
すごくセンスのある言葉を使うなぁと妙に感心し、
私も笑い出し、その言葉をすぐメモしました。

力技で人と接するのではなく、練られた心で、
優しく捏ねるように人と接することができるように自己鍛錬中。