牧師・田崎 敏明のアホ徒然日記

初めて聞いた人にも分かるように、
日常用語で、聖書の話を伝える働 きをしている牧師です。
時折、アホなことも書いておりますが、
まっ気楽に読んでみてっ。
コメントも、もらえると嬉しいです!

心にあることは、隠しきれるものではない。

頭がピッカピカのおじいさんが
歯科にやってきました。
 医師は、その頭が、
気になって気になって仕方ありません。


「はい、水で口をゆすいでください」


と言おうとして、つい


「はい、水で頭を洗ってください」



イエス・キリストは、
 「心にあることを口が話す」
と語られました。


心の中にあることは、言葉として、文字として、
また、態度として出てしまうものです。
 隠しきれるものではないのです。


心をお大事に。


クリスチャンだって、実はロクな奴らではない(笑)

日本では、よく、
 「クリスチャン」に対して、
 「敬虔」という形容をつけて、
 「敬虔なクリスチャン」
と表記することがあります。


しかし、クリスチャンになって40年近く、
 牧師になって30年近くたつが、
「この人は実に敬虔なクリスチャンだっ!!」
と思った人は、
 見たことも、話をしたこともない。
(おっと、失礼…いつも少し言い過ぎる…)


徳の高い人や、愛のある人というものは、
 宗教をやっているとか、やっていないとかに
関係ないようですね。
そして、またそのような方々であっても
 パーフェクトな人など一人もいない。
 皆、自らの穢れや罪意識に苦しみながら、
 生活しています。


クリスチャンも同じです。
 生活態度が立派だから
 クリスチャンではないのです。


いや、それどころか全く反対です。
あのイエス様の大使徒であったパウロという人は、
 「私は罪人のかしらです」と告白するほど、
 自らの内面に苦しんでいた人物でした。


「自分のような穢れた者が
教会に行ってはいけない」
 「もっと心が優しくなったら行ってみよう」
と思っている人こそ、イエス様は招いておられます。
そのままで教会に、
イエス・キリストの元にお越しください。

今、幸せなら、それで良し。もし「だから言ったじゃないかっ!」状態でも…知らんし…自己責任。

うちにいた居候のすずめのチュン太(メスだったらしい)が、
家出(駆け落ち)してから約3週間経った。
 
実は、その数日前から、庭にいたオスとおぼしき雀が、
なにやら窓越しに、
しきりにチュン太に向かってさえずっていた。


たぶん恋のさえずりだったのだろう。
初心なあいつ、まんまと男に騙されやがって、
玄関が開いていた隙をついて、
駆け落ちして行きやがった。


その時私は外出していたのだか、
台所で仕事していた妻のところにチュン太が飛んで来て、
空中で静止して、何度かバタバタしたらしい。
「行くよ~さようなら…」
とお別れを言いに来たのかな、律儀な奴。

 今、幸せなら、それで良し。
もし「だから言ったじゃないかっ!」状態でも…
知らんし、自己責任(笑)

いる時は、うざくて毎日けんかしてたけど、
いないといないで…けっこう寂しい(笑)

ちなみに今、教会の庭では毎日、チュン太とおぼしき雀がいる、
10羽ほどの雀の群が遊んでいる。

試験に落ちても、そこにあった神様の恵み…(静かな神様の奇跡の記録)

教会に来ていたEは、
インドネシアからの留学生で、
教会の近くの高専で学んでいました。
日本に来て、まず日本語から勉強したのに、
学校での成績は一番でした。
性格もとても良い子でした。


そのEが、東京の国立大学への
編入試験を受けたのです。
それも推薦枠での受験でした。
私は、彼は学力も優秀だし、
性格もいいし、
その上推薦での受験ですから、
合格間違いなし…と、私の頭の中では、
すでに彼の合格は、既成事実とさえなっていました。


しかし…
合格発表当日、別の生徒が私に、
「先生、Eが落ちた…」
と電話して来たのでした。
私はしばらく、本当に言葉が出ませんでした。


次の日、彼が住む寮に行きました。
Eはこう言いました。
「先生、ボクは悲しいです」


しかし、彼はそれに続けてこう言ったのです。


「でも神様に感謝しています。
ボクは成績がいいので、
他の日本人の学生を心の中でバカにしていました。
試験に落ちて、そのことを反省しました。」


と。そして、彼は、2,3週間後の
その同じ大学の一般の編入試験を受けました。
そして、なんと推薦で落ちていたのに、
一般編入試験に見事に合格したのです!


神様は、その辛い経験を通しても、
Eにへりくだりの大切さを
教えてくださったんですね。

「私、トランスジェンダーですけど、そちらの教会に行ってもいいですか?」と相談を受けて…

「私、トランスジェンダーですけど、
 そちらの教会に行ってもいいですか?」


そういうメールをいただきました。


 人にそういう風に思わせてしまい、
また、そういう不安を与えてしまうところは、
 教会側の問題点です。


「もちろんいいですよ、お越しください」


私はそう返信し、
その方はお越しになられ、喜んでおられます。
その方は、うちの教会のメンバーへの
影響も心配してくださっていましたが、
うちの教会の人たちの反応は、
 別に何ら変わりありません。
 私たちは常々、皆それぞれが、
お互いを受け留め合う教会であろう…
と、語り合っています。


人は例外なく皆、人それぞれに問題を抱えて、
 悩み苦しみを抱え込んでいるものです。
 教会は、互いに悩みや、違いを受け留め合い、
励まし合う場でありたいものです。


イエス・キリストは、
全ての人を受け留めてくださいます。
ただ一つだけ例外なのは、
イエス・キリストは、自らのみを義として、
他者を見下し、
他者をさばきまくっていた
当時の宗教家に対してだけは、
とても激しく叱責を加えられました。