牧師 田崎敏明の、インターネット教会

還暦牧師のブログ。共に励まし合うためのインターネット教会です。

自分の足や手も褒めてあげよう

時々、自分の足とか手とかを
しげしげと見ながら、
「いつも頑張ってくれていて、
ほんとうにありがとう」
と、声をかけてみることがある。


髪の毛には、
「お前なぁ…もっと頑張れっ」
と愚痴ってしまうが…笑

「しかし」という言葉が、肯定的な言葉に変わる時


「しかしイエスは、娘の手を取って、
叫んで言われた。『子どもよ。起きなさい。』」
(聖書 ルカの福音書8:54)


「しかし」という言葉は否定語だ。
肯定的なことが語られた後、
「しかし」でそれが否定されてしまうのが、
世の常だ。


しかし、
イエス・キリストにある「しかし」は違う。
 否定時な状況を、肯定的に変えてくださる。


もうダメだ…

しかしイエス・キリストが道を開き案内してくださる。
 

人から見放されてしまった…
しかしイエス・キリストは決して見放すことはない。
 
失敗してしまった…
しかし、イエス・キリストはその辛い経験も
益に変えてくださる。etc、


イエス・キリストにある「しかし」によって、
道は開かれる。


さぁ、今日も、
「しかしイエスは」
と自分の魂に語りかけながら生きよう。

柿の種一個で幸せ



「辛」いという文字の上に、
柿の種一つ置くと、
「幸」せという文字になる。


皆、辛い苦しみの中で、
その柿の種一つ求めて生きている。
神様、皆の上に、
柿の種ひとつ降らせてっ!!

変わった絵の踏み絵

大分県竹田市のキリシタン記念館に、
休館日と知らずに出掛けたアホな私。
(ちゃんと調べてから行けっ!)


そんな私に、嫌な顔をせず、
いろいろと説明してくださった館の方の第一声は、
「竹田は隠れキリシタンではなく
"隠しキリシタン"の町です」
だった。


竹田市は、あの滝廉太郎の「荒城の月」に謡われた
岡城の城下町。今もその町並みの雰囲気が、
全体に漂っている。
実は岡城の城主が、
キリシタンだったりキリシタンに好意的だったりして、
キリシタンを「隠し」ていたのだ。
もちろん、幕府もそのことに気づいいただろうが、
両者の間にはそこそこの「忖度」
があったのだろう。それでも殉教者も出している。

記念館に、和紙の踏み絵が展示されてある。
石や銅ではなく和紙。
しかし、この踏み絵の絵が変わっている。
イエス・キリストが描かれているはずなのだが、
どうも人相が悪すぎる。
実は、キリシタンが踏み絵を踏み易いように、
あえて本当の極悪人の顔を書いてあるという
話も聞いたことがある。

岡城で、3万人の島津軍を1000名の兵で撃退した、
まだ20前後の城主だった志賀親次は、
大友宗麟の義理の孫にあたるキリシタン城主。
腕には十字架の刺青が彫ってあった。

市内にある隠れ礼拝堂跡の横には、
宣教師が暮らしていたと言われる洞窟がある。
私はその洞窟に向かって、
「あなたはどのようにイエス・キリストを伝え、
当時の日本人はどのように
イエス・キリストを信じていたのですか?」
と語りかけてみた。
返事はなかった…。