牧師・田崎 敏明のアホ徒然日記

初めて聞いた人にも分かるように、
日常用語で、聖書の話を伝える働 きをしている牧師です。
時折、アホなことも書いておりますが、
まっ気楽に読んでみてっ。
コメントも、もらえると嬉しいです!

「世界」は、あなたの「心」が作り出している。

ある町に一人の男が引っ越して来ました。
そして彼はその町の住民にこう聞いたのです。
「この町は、どんな町だい?」
するとその住民は、逆に彼に質問しました。
「あなたがいた前の町は、どんな町だった?」
すると男は、
「前の町か? あそこはほんと駄目な町だったよ。
住んでいる奴らは嫌な奴ばかりだったし、
何ひとつ良いところのない町だったよ」
と答えました。
それを聞いたその町の住民は、こう言いました。
「じゃあ、あなたにとっては、この町も、
ほんと駄目な町で、嫌な奴ばかりで、
何ひとつ良いところのない町ですよ」


「世の中」というのは、
実は自分の心が作り出しているのかもしれませんね。
聖書には、
「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。
いのちの泉はこれからわく」
(箴言4:23)と書いてあります。


田崎著「こんな本」より


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切れ味のある人生を生きる秘訣。

あるおじさんが、
鋸で一生懸命に大きな丸太を切っていました。
そこを通りかかった方が見ていたら、
汗を流して一生懸命やっているわりには、
あまり切れていないようでした。
不思議に思ってよく見ると、
鋸が錆び付いていました。
それで、そのおじさんに、


「おじさん、
まず鋸を研いでから切った方が良いと思いますよ」


と言ったら、そのおじさん、手を止めることもなく、



「なにを言っているんだ。俺は今、
この丸太を切るのに忙しくて、
鋸を研いでいる暇なんかないんだ!」


と怒ったそうです。


何事でもそうですが、
道具の良し悪しは非常に大切ですね。
私たちの人生を歩いて行く上での道具は
「心」です。お肌のお手入れも大切ですが、
それ以上に、
心をいつも大切に手入れしておきたいものですね。


田崎著「こんな本」より


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映画「サイレンス」(沈黙) ロドリゴの苦悩、そしてキチジローの心の痛みが分かるかい?

遠藤周作「沈黙」の映画版「サイレンス」。


原作者の遠藤周作の信仰がどうのこうの、
監督の信仰がどうのこうのと、
物知り顔で、そういことばかりを語る人もいる。
そういう人は、ロドリゴの苦悩や、
キチジローの心の痛みが、
理解出来ているのだろうか?


そういう人は聖書の中に出てくる、
イエス様にすがる、罪人たちの心の悲哀が、
理解できているのだろうか?


そういう人は、
ただ生きるだけでも大変な今のこの世の中で、
苦しみもがきながら生活している人たちの、
目に見えず、耳に聞こえない、
その心の叫びが理解できているのだろうか?


私は、小説「沈黙」は幾度も繰り返し読んでいる。
ロドリゴの苦悩と、キチジローの心の痛み…
それは対極にありそうで、実は同じものかもしれない。
しかし、主は、2人と共におられる。

私は、映画はまだ観ていない。しかし、
Youtubeで、その予告編を見るだけで、泣けて来る…


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戦国時代の宣教師の功罪。

「日向の大友宗麟 もういっぺん」
という小説を執筆中です。


昔、ここ延岡市の無鹿町にキリスト教の理想郷を
築こうとしたキリシタン大名大友宗麟が、
もういっぺん、無鹿にやって来る小説です。
私の牧師室の窓から、川向こうにその無鹿が見えます。


大友宗麟は、そりゃあもう書くには絶好の男。
いろいろあり過ぎるっ!
自分の家臣の妻を横取りして、
その家臣を死に追いやったりは、
まるで聖書の中のダビデ王のよう。
しかも、それを取り巻く人々もいろいろとあり過ぎるっ!



今「サイレント」という映画が上映されています。
遠藤周作の小説「沈黙」の映画化です。
遠藤周作もまた、この延岡の無鹿の地を探索して、
大友宗麟について書きました。「無鹿」という小説です。


「サイレント」は、
キリスト教禁止令下の宣教師が主人公です。
大友宗麟もあのザビエルと直接会い、感化されたようです。
しかし、当時の他の宣教師たちの教えに触れた宗麟は、
神社仏閣を焼き払ってしまいます。
ここ延岡の無鹿に来た時も、
そういうことを行ったようです。
(延岡の神社仏閣さん、ごめんなさい。
私が小説の中で宗麟に、そういうことはダメっ!
と説教しておきます。謝罪にも連れ回すかも…)


また宗麟の妻は神社の娘で、
宗麟のキリスト信仰には反対します。
すると、その妻に対して宣教師たちは
「イザベル」とあだ名をつけ、見下したのです。
イザベルというのは聖書の中に出てくる
「悪女」呼ばわれする女性です。
そういうのもダメっ!です。
宗麟の妻は、実際は、領地の人たちのことを想い、
また、キリシタンとなった自分の侍女たちに対しては、
教会に通えるように、いろいろと配慮さえしてあげた
良き女性であったようです。


宣教師の大いなる働きと、その一方での否なるもの…
それらのことも書き記す、小説ともなりそうです。


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クリスチャンのブログは、なぜこうもつまらないのか。

クリスチャンが書いたブログは、
読んでいてつまらないものが実に多い。


なぜかと考えると、たぶん、
クリスチャンでしか分からない言葉使いや、
内容や書き方が多いからだろう。
世間からかけ離れた、世間知らずのブログも多い。


また、イエス様は謙遜を説かれたのに、
クリスチャンであることが
何か偉いことでもあるかのような
世の中に対して上から目線の、
高慢な書き方も実に多くて、がっかりもする。


せっかく書くのなら、
なんかこう、クリスチャンではない方にも、
ガツーンと良い影響を与える、
そんなクリスチャンのブログが出現することを、
切に望んでいる。

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