牧師・田崎 敏明のアホ徒然日記

初めて聞いた人にも分かるように、
日常用語で、聖書の話を伝える働 きをしている牧師です。
時折、アホなことも書いておりますが、
まっ気楽に読んでみてっ。
コメントも、もらえると嬉しいです!

結婚式の途中で、新郎がなんと突然の告白っ…その内容とはっ!

先日、ホテルのガーデンでの
結婚式の司式をした時のこと。


その結婚式の途中で突然、新郎がマイクを握り、
新婦に向かって語りだしたのです! それは…


それは、プロポーズでした!


「ちゃんとプロポーズしてなかったから…」と。
こっちまでウルッと来たし、
列席の皆様も嬉しそうでした!


この頃の若い奴らは、…ほんと、凄いぜっ!


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「沈黙」をもってしても、寄り添ってくださる神

昨日に引き続き、遠藤周作「沈黙」について。
この小説を読んだことがない方は、
タイトルが「沈黙」だけに、ひょっとすると、
神様は私たちが辛い時も助けを与えないで
沈黙されている…という風な小説
と思っている方もおられるかもしれない。


しかし読み込んだ方ならば、
いや、実はその反対のことを書いてあるのだと
分かっておられると思います。


私たちが辛い時、
神様が具体的な助けを与えてくださっていないように思う時、
それを人が「神の沈黙」と呼ぼうが、
神はその人と共におられ、
寄り添っておられるのだ。
そこにこそ、神と人との深い関係があるのだ。


足跡(フットプリント)という、素晴らしい詩があるではないか。


「あしあと」
ある夜、私は夢を見た。私は、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上に二人のあしあとが残されていた。
一つは私のあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
私は砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
私の人生でいちばんつらく、悲しいときだった。
このことがいつも私の心を乱していたので、私はその悩みについて主にお尋ね
した。「主よ。私があなたに従うと決心したとき、あなたは、すべての道にお
いて私とともに歩み、私と語り合ってくださると約束されました。
それなのに、私の人生の一番辛いとき、一人のあしあとしかなかったのです。
一番あなたを必要としたときに、
あなたがなぜ私を捨てられたのか、私にはわかりません」
主はささやかれた。
「私の大切な子よ。私はあなたを愛している。
あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みのときに。
あしあとが一つだったとき、私はあなたを背負って歩いていた。」



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遠藤周作「沈黙」

遠藤周作著「沈黙」は、
私はクリスチャンになる前から、
高校生時代から幾度となく読み返して来ました。

だから、外国人監督で映画化と聞いた時には、
とても違和感があり、
今だに観てみようかなという気持ちが
あまりありません。
でも「映画」と割り切って、
レンタルDVDが出たら観るな、たぶん。


遠藤周作は、この小説を、
「日向(ひなた)の匂い」
というタイトルで書きました。
しかし、出版社の意向で、
「沈黙」というタイトルに変更されました。
遠藤周作も、そのことをいつまでも
気にしていたそうです。
確かに、「沈黙」というタイトルの方が
売れるのでしょうが…


「沈黙」が映画化されることで、
クリスチャンの間には様々な意見の
相違や論議があるようです。
そんな論議は無益なことです…。


神様は決して、沈黙はなさらない。
どんな時も、私たちの心に語りかけておられる。
ただ、人は一様ではない。
その環境、立場はみんな違う。
神様は、そんな私たち一人ひとりに、
それぞれに違った必要なことを語りかけておられる。
それは、他人がどうこう口を挟むべきことではない。


嗚呼! 日向の匂い…


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今年後半に実現したい、ビジョン!

聖書の中で神様は、
「私は全能の神である。」
と、ご自身で語られています。
これ英語では、



I am God Almighty.


私の場合は、英語の方が、
なんかグッと心に来たりする聖書の箇所も
多々あります。

ちの教会は、外人さんたちも来ていることもあって、
私は、英語に関して、ある一つの目標を立てました。
それは、今年後半には、
10分間ぐらいの短いものでいいから、
英語の説教ができるようになること。
そのための自己訓練を始めた。


ピコ太郎には、負けんっ!
 (ここでピコ太郎かよっ←影の声)

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聖書の読み方も、いろいろ。

聖書という本は、実は一冊の本ではありません。
66巻の本(書物)が編纂されたものなのです。
初めの書が書かれてから、最後の書が書かれるまで、
実に約1,400年の時間が経過したと言われています。


クリスチャンの場合は、
この分厚い聖書を「通読」します。
最初から最後まで順番に読み進んでいくのです。
「通読」の場合は、どちらかというと、
細かく読むよりは、先先と読み進めるという感じです。


私は今年は、通読ではなく、
最初から少しずつ少しずつ味わいながら、
あえてゆっくりと時間をかけて読むことにしました。
なかなか先に進みませんっ! 
ちょっと読んでは感動に浸り、
またちょっと読んでは新しい神の啓示が与えられ、
余韻に浸ります。


先に読み進むのがもったいないっ!


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