牧師・田崎 敏明の信仰徒然日記

アホな牧師の日記。
まっ気楽に読んでみてっ。

私のブログへのご意見のメールについて、いろいろと…

私はこの通り、ブログ、またfacebookに、
いろいろいと思うところを正直に書かせてもらっています。
当ブログがブログ・ランキング第一位ということもあってか、
実に、いろいろなご意見をメールにていただきます。


「ブログを書き続けて来て良かったなぁ」と思える、
嬉しいメールもあれば、
ご批判のメールもいただくこともあります。
それは、世の常のことです。


嬉しいメールは、もちろんこちらも励みになり
とても感謝します。


たまにいただく、ご批判のメールですが、
こちらの方は、おおまかに言って、
以下の3つほどの共通点があるようです。

1、クリスチャンの方からのメールである
2、どのような方なのか全く分からない匿名でのメールである
3、返事を書いて送ろうにも返信できない、
  なりすまし、嘘のメール・アドレスを使ってのメールである。
  (メール・フォームから送信してもらっています。
  現在はメール・アドレスが正しく記入されていないと 
  送信できない設定にさせていただいております。)
  
それもそれで、
「まっ、そんなもんだろうなぁ…」
と思います。それも世の常です。
「クリスチャンのくせに…」
などとは思いません。
"クリスチャン"とは、別に人格が優れた人のことを
言うものでもないからです。


別にいいんですが、でもやはり、そういうメールは、
そのご意見の内容がどうのこうのという以前に、
とても軽く思えてしまいます。

うわべも心も悪い私を救ってくれたもの。

私は、まだ髪の毛フサフサの若き頃(23歳の時)、
教会に通い始めました。
そして聖書を読んでいたら、
「人はうわべ形を見るけど、神様は心を見られる」
と書いてありました。


私は「困ったぞ」と思いました。
私はこのとおり、うわべも悪いが、心はもっと悪い…。
その上、イエス様は、
「誰でも、もし心の中で色欲を持って異性を見るなら、
それはもう姦淫の罪なのだ」
とも語られました。いよいよもって私は、
「いやはや、ますます困ったぞ」
と思いました…(涙)


でも、そんなこと言われて、
それでも「私は清い者です」といえる人は、世の中に、
たぶん一人もいないはずです。いる?
人はみな、神様の目には罪人です。


しかし、イエス様の十字架によって、
私たちの罪は許されたのです。
今、神様は私たちのことを大切に思い、
御手を伸べてくださるのです。
ほんとに、良かったよ…。


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このイエス様の救い、「福音」を
初めて聞いた方でも分かるように、
またキリスト教会の専門用語なしで語っています。
いろいろな所に出かけて行って伝えていきます。
どうぞ、小さき者の小さき働きですが、
ご支援いただけると幸いです。
★郵便口座 
01710-4-166482 口座名:田崎敏明
★銀行口座 
宮崎銀行 祇園町(ぎおんまち)支店 
23553 タサキトシアキ
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「自分の方が正しい」…そんな偽善に気をつけよう。

イエス様はある時、こういうたとえ話をされました。
2人の人が並んで神様に祈っていました。
一人は、真面目な宗教家で、もう一人は、
人々から罪深い者とされて、さげすまれていた人でした。


宗教家はこう祈りました。
「神様、私はあなたを信じて、
世の中とは違う信仰的な生活を送れていることを感謝します。
ことに、ここにいる罪深い男のようではないことを、
あなたに感謝いたします。」と。


一方の男は、自分の胸を打ちたたきながら、
こう祈りました。
「神様、どうか罪深い私をお赦しくださいっ!!」と。

イエス・キリストは、後者の祈りこそ、
神様に受け入れられる良き祈りであると語られました。


私たちは、ともすると、人と比べて、
「自分の方がよりマシ」
「自分の方が正しい」
と判断しがちです。
そして人を見下げた見方をしがちです。
これは、実に気をつけたいことですね。

「正しい人」ばかりだと争いが起こり、「悪い人」ばかりだと平和だ。

「自分が絶対正しい」という人ばかりだと争いが起こる。
「自分が間違っている時だってある…」
という柔軟な人が増えると、争いが減ると思います。


「正しい」人ばかりだと争いが起こる。
「悪い人」ばかりだと、実は平和…なのです。


★ある子どもの作文から

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「うちの家はみんなが悪い」


きょう私が学校から帰ると、お母さんが、
「お兄ちゃんの机を拭いていて金魚鉢を落として
割ってしまった。もっと気をつければよかったのに、
お母さんが悪かった」と言いました。
するとお兄ちゃんは
「僕が端っこに置いたから、僕が悪かった」
って、言いました。
でも私は思い出しました。
きのうお兄ちゃんが端っこに置いたとき私は
「危ないな」
って思ったのにそれを言わなかったから、
私が悪かったと言いました。
夜、帰って来てそれを聴いたお父さんは
「いや、お父さんが金魚鉢を買うとき、丸い方ではなく
四角い方にすればよかったなあ。お父さんが悪かった」
と言いました。そしてみんなが笑いました。
うちはいつもこうなんです。
うちの家はいつもみんなが悪いのです。
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年相応に、という前向き。

昨日は市内に教会案内を配りに行きました。
もうけっこう暑い。

若い頃は、5階建てのアパートでも、
一番上まで駆り上って、
一軒一軒のドアに投函したものだ。


今は、そんなことしたら…死んでしまう(笑) 
今は、 一階の階段横のポストに入れさせてもらっています。
何事も年相応のやり方というものがあります。

世の中では「若い方が良い」という思考がありますが、
それもまた心狭き思考です。
実は、年を重ねた方が、
新しいことを生み出せる能力が
高まっていくように思います。


若者にはできないが、
年配者なら出来る働きが
たくさんあるものです。