牧師・田崎 敏明の信仰徒然日記

アホな牧師の日記。
まっ気楽に読んでみてっ。

イエス様は、世の中の誰よりも身を低くされた。私も、そうしたい。

イエス様は、世の中の誰よりも、身を低くされた。
私も、そうしたい。


へりくだって、互いに相手を、
自分よりもすぐれたものと思いなさい。
(聖書 ピリピ人への手紙2章3節)



「聖書にはこう書いてある」と言うのは、クリスチャンの常套句。それをどんな思いで言うかが大事。

夫 
「聖書には、妻は夫に従えと書いてあるんだぞっ!
 オレに従えよっ!」
妻 
「あら、聖書には、
夫は妻を愛しなさいと書いてあるわよ。
もっと私に優しくしなさいよっ!」



サタンは、「聖書にはこう書いてある…」
と言ってイエス様に論議をしかけ、
誘惑しようとしたことが、
聖書にも記録されてあります。


「聖書にはこう書いてある」
というのは、クリスチャンが多く用いる
常套句の一つでもあります。


しかし、肝心なのは、
それをどういう心で語っているのかです。


人を裁いたり、自分の意見を正当化するために
そう語るのであっては、とても危険です。

それを「愛」を持って語っているのかが、
実は一番肝心なのです。


「愛によって働く信仰だけが大事なのです。」
(ガラテヤ5:6)

人はみんな心優しき罪人。それゆえ悩み、絶望し…そして、もっと優しくなって行く。

人はみんな本当は心優しき罪人。
それゆえ悩み、絶望し…
そして、もっと優しくなって行く。


人の罪深さは、50歩、100歩。
それを実行してしまうか、思いとどまるか、
表に現れるか、隠されているかの違い。
自分も同じ状況、同じ立場に立たされたら、
同じことをやつてしまうかもしれない…

だから、間違いを犯してしまった人、
失敗してしまった人のことを、
一方的に非難しないが良い。

想定外も、イエス様の御手の中

イエス様がカリラヤ湖畔の山で、
お話になったり、病人を癒しておられました。
そこに実に多くの人々が集っている状況が
3日間ほど続いていました。
集まって来ていた人々は、
ピクニック程度のお弁当は持参していたかもしれませ。
しかし、3日間の食料など準備はしていなかったでしょう。
想定外のことであったでしょう。
お腹が空いたことでしょう。

それでイエス様は、そこにあったわずかなパンを祝福して、
それを裂き始められました。すると、それが膨れ上がり、
全ての人々が満腹するほど食べられたという
奇跡が行われました。


人生には、自分の予定が狂うこともあるでしょう。
想定外のことも起こるでしょう。
この苦しみが長く続くなんてと思うことも。
しかし、全てのことが、イエス様の御手の中にあって、
そこにイエス様の助けが用意されていることを、
いつも覚えて生きましょう。

嗚呼! 男と女

女性
「私そんなこと聞いてないわよ。そんな大事なことは、
もっとちゃんと早く言ってよねっ!
あなたっていつもそうなんだからっ!」


男性
「だから、今言ってるじゃないかっ!」


そんな男と女の会話が、
今日も日本の何処かでなされているはずだ(笑)


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ここで、女性に残念なお知らせです。
男のどうしようもなさは、
そうそう簡単に変わるものではありません。


いや、男であれ女性であれ、
私であれ、あなたであれ、人というものは、
そうそう簡単に変わるわけではありません。


「自分が変われば相手も変わる」
とよく申しますが、いやいや、
仮にもしあなたが変わったとしても、
相手はそうそう簡単に変わるものではありません。
あなただって、そうそう変わることはないと思います…笑)


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人間関係とは、変わることのない
「頑固者」同士の交流なのです。
「一致」を求めるよりも。
変わることのない相手を
「受け留める」ことの方が大事です。