牧師・田崎 敏明のアホ徒然日記

初めて聞いた人にも分かるように、
日常用語で、聖書の話を伝える働 きをしている牧師です。
時折、アホなことも書いておりますが、
まっ気楽に読んでみてっ。
コメントも、もらえると嬉しいです!

聖書の「いつも喜んでいなさい」の意味

聖書には、
「いつも喜んでいなさい」
と書いてあります。


しかし、それは決して、
なんでもかんでも喜んでいなさいとか、
いつもニコニコしていなさいとか、
そういうことではない。
そんなのは、ただのアホである(笑)


悲しいことが起こったら、
悲しまなければいけない。
苦しんでいる人がいたら、
一緒に悩んであげたい。


「いつも喜ぶ」とは、
悲しみながらも、悩みながらも、
心の奥底にある「喜び」のことなのだ。


苦しくや悲しみも多いこの人生だけど、
イエス・キリストがいつも共におられる。
そのことのゆえに、
いつも心の奥底で喜ぶのだ。

ごめんなさい、本当にごめんなさい!

「40代には見えないっ」


のCM。
ごめんなさい、

どう見ても


40代にしか見えません…


本当に、ごめんなさい。


それよりも、年齢らしく生きる方が
美しいと思う。

隠れキリシタン洞窟礼拝堂で見たこと、感じたこと。(写真あり)

大分の竹田市にある、隠れキリシタン洞窟礼拝堂跡を
見に行って来ました。
「荒城の月」で有名な岡城近くにあります。
ここは当時、住民の半数以上が、
キリシタンであったと言われています。
隠れキリシタンの里と言うよりも、
藩をあげての隠れキリシタンだったようです。

秀吉の禁教令後も宣教師がこの洞窟に
隠れ住んでいたと言われています。
当時は竹林で覆われていたのでしょう。
まるで遠藤周作の「沈黙」の世界でした。

しかし当時の岡城主の志賀親次自身も
熱心なキリシタンであり、
次代の城主もキリシタンに好意的であったため、
その存在を見て見ぬふりをしていたようです。
その宣教師は、
フランシスコ・ブルドリノだとも言われています。


私は宣教師が隠れ住んでいた洞窟に向かって、
「あなたはどのようにイエス・キリストを伝え、
 そして、人々はどのように
 イエス・キリストを信じていたのですか?」

と問いかけましたが、もろちん返事はありません。

その代わり、度々、後に人の気配を感じたり、
人が歩く音が聞こえたりしたので、
その都度、後ろを振り返ったのですが、
誰もいませんでした。
風…だったのでしょう。

私は幸せな牧師だ…今日の礼拝会。

今日の教会での礼拝会。初めに
「それでは、みんなで賛美を歌おう」
と言ったら、


「今日は、最初にパスターのために
 みんなで祈ろうよ」


とエリンが言ってくれて、
皆で私に手を置いて、代わりばんこに、
一人ひとり祈ってくれた。
そ、そ、そんなことされたら、俺、泣くぜっ(涙)

そして、今日の聖書の話は、
「神様の力は私たちの弱さの中にこそ働く」
というお話。
「私は、話し方は上手くないし、頭も悪い。
けれどそのお陰で、こうして難しい言葉を使わずに、
分かりやすく話ができることを神様に感謝している」

と語りました。
すると、
「分かりやすい」
と皆うなづいてくれて、嬉しかったです。

嗚呼、男と女…キリシタン大名大友宗麟と奈多夫人の場合

【写真】大友宗麟の城、臼杵城から市内を見下ろす。

当時は、臼杵城の周りは海でした。
海の中に立つ強固な出島城だったそうです。
正面に見える県立臼杵高校あたりが
当時の海岸線だったようです。


奈多夫人を一方的に離縁した宗麟は、
この城を出て、
新たにキリシタン女性(奈多夫人の侍女)と結婚して、
その海岸線(臼杵高校あたり)に新居を構えました。


近すぎっ! 


城に残された奈多夫人からもハッキリと見える場所です。
人の出入りさえ見えそうな所です。
そんな処に新しい夫人との新居を構えた宗麟。
奈多夫人の気持ちなど考えなかったのか、
嫌がらせだったのか? 
それとも、あえて自分に気をひこうとしたのか。
どっちにせよ、宗麟、あんたって、ほんと最低の男だよっ!


とは言え、奈多夫人は、
なんだかんだ言っても宗麟のことを心配していたのでしょうし、
宗麟も宗麟で、自分よりも正論を語る奈多夫人のことを
煙たくは思っていましたが、
その実、心の底では慕っていたのかもしれません。


奈多夫人も晩年は、
キリシタンに好意的な態度に変わったようです。
そして最後の頃、臼杵に島津軍が攻めて来た時は、
宗麟も奈多夫人と共に臼杵城内におり、
臼杵の多数の住民を城内に避難させて世話をしました。
そのような行為は、
大名としては異例のことだったようです。


この頃には、宗麟と奈多夫人、
2人の心は和らいでおり、
共に力を合わせて民の世話をしたのではないでしょうか。
しかし城内に流行った疫病にかかり、
ふたりともその後すぐに、
数ヶ月の差でこの世を去って行きました。
大友宗麟と奈多夫人に見る、ああ男と女。


★奈多夫人について書いた記事。
「十字架の形をした、戦国時代の墓石」
http://bokushitasaki.muragon.com/entry/185.html