延岡東海(とうみ)教会と、訪問牧師・田崎敏明HP

宮崎県延岡市のキリスト教会・延岡東海教会のHP 「訪問牧師」田崎が書いています。病院、施設、家庭、無牧の教会での説教奉仕、お祈り、相談等々、お呼びいただければ、どこでもお伺いいたします。

頑張れ、豊田真由子さん。

私は、自分自身が、神様から罪許された罪人なので、
失敗してしまった人、
人から後ろ指を指される人を応援したくなる
マイナーな性格。


 今回の衆議院選挙、「このハゲ~~」「違うだろう~~」
の豊田真由子さんには、
ぜひリベンジして欲しかったのだが、
もちろんそうは行きませんね。


でも 人って、誰でもちょっと突っつかれたら、
そういう言葉を叫んでしまこともある
…そういう者ではないでしょうか。
たまたまそう叫ばずにいられてるだけかも。
あなたも私も。人間は、そう違わない。
50歩100歩。
だから労わり合いたいものです。

世界は、自分の心で出来ている

「奪えあれば足りず 分かち合えば余る。」


同じ事柄でも、心のあり方によって
その価値が違うもの。


 前の車をあおる心もあれば、
列に入ろうとして来る車を、
自分が止まって入れてあげる心もある。


イエス・キリストは、
「人からしてほしいと思うことを、
そのとおり、人にもしてあげなさい」
と語られました。

本当の幸せって何?

10年ぐらい前かなぁ、東京でやくざと、
あっ、「元やくざ今は牧師」と会った時に、
そこにTさんも来られました。
Tさんは、目が見えないクリスチャンでした。


彼はこう言いました。
「なぜですかぇ。クリスチャンの人達や牧師さんは、
すぐに、目が見えるようになるようお祈りしましょう」
と言うのです。気持ちは嬉しいけど…。
でも、周りの人達がこうして親切にしてくれるし、
今でも僕は充分幸せなんですけれど」


その言葉は目からうろこでした。

「しかし、悪いことにかけてはあなたも、五十歩百歩ではありませんか。」(聖書 ローマ人への手紙2:1)

こう書くと、あなたは、「なんてひどい連中だろう」と言うかもしれません。しかし、悪いことにかけてはあなたも、五十歩百歩ではありませんか。「そんな悪い連中が罰を受けるのは当然だ」ときめつける時、ほかでもない自分自身にそう言っているのです。自分も同じことをしているのですから。"
(聖書 ローマ人への手紙 2:1 LB)


"自分の目に大きなごみを入れたままで、どうして人の目にある、小さなちりを気にするのですか。 なぜなら、あなたがたが接するのと同じ態度で、相手も接してくるからです。 人のあら探しをしてはいけません。自分もそうされないためです。"
(聖書 マタイの福音書 7:2-3,1 LB)


人生はブーメラン。
人間関係もブーメラン。
口から出る言葉もブーメラン。
自分に返ってきても良いものを、
自分から与えていきたいものですね。
イエス・キリストは
「自分にして欲しいことを人にもしてあげなさい」
とも、語られています。

片方聞いて沙汰するな。

人間関係の悩み事で相談を受ける時。
もちろんその方は、
相手の不義をいろいろと語るでしょう。
相手からいろいろと傷をうけているのは、
現実なのでしょう。


でも、その相手の方にも話を聞くと、
また違った話も出てくるものです。


片方だけ聞いて、短絡的に判断をしないことですね。