お笑い牧師・田崎敏明Blog

アホな記事、真面目な記事、取り混ぜてお届け中。

田舎のキリスト教会のお話 2題

★もう30年ほど前のこと。当時神学生だった私は、
山奥に伝道に出かけました。
するとそこに一軒の教会がありました。
あまり手入れや清掃も行き届いていないような教会でした。
まだ若く高慢盛りだったその時の私は、
『ここの牧師はちゃんとやっているかっ』
などと不遜なことを思ったものです。
若気とはいえ、今考えると本当に恥ずかしい話です。
しかし、今はそのような山奥の集落で、
たとえ数人であっても、毎週日曜日に教会に集まって
礼拝が捧げられていることが、
どんなに神様の目に尊いことなのかを、
理解できるようになりました。


★数年前には、2年間ほど、日之影という、
やはり本当に山村にある教会で
日曜日礼拝会の説教奉仕に通わせていただきました。
その教会の牧師は、
その処で一途に70年以上も伝道されて来た
城尾マツという女性牧師(98才)です。


戦争中はクリスチャンということで
売国奴呼ばわりされ、婦人部の槍訓練の時には、
その的にもされたとか…。
「70年間やって来て、最近やっと村の人たちが、
教会のことを少し認めてくれるようになった…」
との言葉に、涙がこぼれました。

「……しなくてはいならない」という呪縛から、自分を解いてあげよう。

幸せでなくてはいけないとか、
リア充でないといけないとか、
成功しないといけないとか…
そんなことの呪縛からは、
早く解き放たれなければいけない。

もしも仮に何もしなくても、
人生には、悲しみと苦しみと、そして喜び、楽しみも、
もれなく付いております。


今日もこの日にあるいろいろなことを噛み締めながら、
感謝すべきことにはしっかりと感謝しながら
生きれれば、それでいい。
 
水があって空気が吸えて、
白いご飯が食べられて、何の不足があるというのか。
 
髪の毛はフサフサでなければならないなどという
呪縛からも、自分を解き放ってあげるべきた…えっ

誰がなんと言おうが、私は私に出来る事をやる!


延岡東海教会の元旦礼拝会で語った説教のテーマは、
「自分に出来る事をコツコツやる」
というものでした。

ある時、イエス様はある女性を賞賛されました。
彼女は熱心に伝道したわけでもなく、
多額の献金をしたのでもなく、
自分に出来ることをしたのです。
回りには「なぜそんなことをする」
と言う人もいましたが、そんなものは世の常です。


また聖書の中でただ一人
「女の弟子」という肩書きが与えられている女性もいます。
当時としてはとても珍しいことです。
彼女もまた熱心に伝道した弟子ではなく、
自分に出来ることをした女性でした。
彼女は下着や上着を縫って、貧しい人に施していたのです。


この年、私も私に出来ることをやるっ!!
なんだかんだ言いたい奴には言わしとけっ笑

あえてだまされるという生き方

「そもそも、訴え合うこと自体がクリスチャンにとって、
すでに敗北です。
なぜ不正な仕打ちに甘んじようとしないのですか。
だますよりもだまされるほうが、

もっと主に喜ばれるでしょう。」
(聖書 一コリント6章7節)

不正を正そうとするのは、正しい。正論だ。
しかし、正論というものは、
どうも少し薄っぺらなのだ。


訴えあうよりも、あえてだまされている…という生き方。
そちらの方が、私たちの人生を、より深いものとする。
そちらの方が、私たちの魂を、よりイエス様に近づける。

自分のせいも、サタンのせいにする人(笑)

よくクリスチャンの中には、何か悪いことが起こると、
「これもサタンのせいだ。サタンの攻撃だ」
と騒ぎ出す人たちもいる。
でも、たぶん、サタンはそういう人を攻撃したりはしない。
わざわざ攻撃しなくても、自滅してくれているから(笑)

自分が悪い種を撒いてしまって、
悪い結果を刈り取ったら、素直に反省する
…そんなごく当たり前のことが、
本当に大切なことなのだと思う。
そうさせないことこそ、サタンのせいだっ…たぶん。