牧師 田崎敏明の、インターネット教会

還暦牧師のブログ。共に励まし合うためのインターネット教会です。

信仰は、力を抜いて憩うことと見つけたり

「信仰とは、力を抜いて憩うことを
主とするものではないだろうか…」
というを文書を読みました。
本当にその通りだと思います。

 人は「宗教」から、ああしろ、
こうしろ、それはいけない…と言われなくても、
そんなことは分かっていて、
その通りに行かず、苦しんでいるものです。


その上その「宗教」からさえも束縛されたら、
もう大変です。


イエス・キリストは、
「真理はあなたがたを自由にする」
と語られました。
その本意をしっかりと思いめぐらすべきです。


とはいえ、私もやっと今、60になり初めて、
その境地に達した気もします。
やっと、力みから開放され、
のんびりした心持をしている気がします。
 「えっ、前からのんび~~りしてるじゃん」
の、突っ込みはおやめください(笑)

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キリスト教は、救われるために修行するんじゃなくて、救われたから修行する。

あなたがたは、神様の寛容さのゆえに、
キリスト様を信じることによって救われたのです。
しかも、そのキリスト様を信じることすらも、
あなたがたから自発的に出たことではありません。
それもまた、神様からの贈り物なのです。
救いは、私たちの良い行いに対する
報酬ではありません。ですから、だれ一人、
それを手柄にして、誇ることはできません。
(聖書 エペソ人への手紙2:8,9)

キリスト教の信仰は、他力信仰だ。
イエス・キリストを信じるだけで、
誰でも救われるのだ。
そう聖書に書いてあるから、
他に言いようはない。
修行等による救いとは違う。


私だって、なんかこうかっこいい教理とか、
救われるための体系的な修行方法を説けたら、
いいなぁと思うけど…聖書には反せない。


「信じるだけで救われる?
 だったら何をやってもいいわけ?」


と聞かれそうだ。
愚問だ。
人は信仰をしていようが、してまいが、
正しい道を歩こうとするものだ。


それに、イエス・キリストの恵みによって
救われたら、その恩に報いたいと、かえって、
自らにいろいろな修行を課すものなのだ。

正しい人は一人もいない。真実に神の道に従って歩んだ人もいない。

「正しい人はどこにもいない。
罪のない人は世界中に一人もいない。
真実に神の道に従って歩んだ人はいない。
かって一人もいない。
そうしたいと願った人さえいない。
すべての人が道を踏み外し、みな、
まちがった方向に進んで行った。
正しいことをずっと行ってきた人は
どこにもいない。一人もいない。」


これは誰の言葉でしょうか?
神の言葉である聖書の言葉(ローマ書3:10,11)です。
厳しい言葉ですが、心ある方ならば、
頷かざるを得ないはずです。


しかし、そのような罪人の私たちを、
神は大切しにしてくださり、
導いてくださることも聖書に
はっきりと書いてある。有難いことだ。
 
昨今は、
どうも総国民「正しい人」化傾向が見受けられて、
私は恐い。失敗した人を、
「正論」をもって、よってたかって総批判して、
私は恐い。


そうではなくて、
みんな似たり寄ったりの者だのだから、
互いに叱責しあう以上に、励まし合い、
慰め合いたいものです。

クリスチャンとは、どういう人のことか?

「クリスチャン」とか「キリスト教」
というものは、実に多くの誤解があると思う。
いや私たちクリスチャン自身も、
自らのうちにある誤解を正す必要があるかも。

クリスチャンとは、神を信じる敬虔な、
清く正しく美しく生きる人を指す…のではない。
厳密には、そんな人は一人もいない。
 
誰であれ、どんな人であれ、今ある立場の中で、
イエス・キリストを信じる者は
みんなクリスチャンなのだ。南無基督だ。


よく
「自分は偽クリスチャンです」
「ダメクリスチャンです」
と言う人もいる。その気持ちもよく分かるし、
高慢になるよりは、
そのくらいの気持ちで丁度良いのだと思う。


ただ、そんなことわさわざ言わなくて、
見れば、
出来が悪いか良いかぐらいすぐに分かる(笑)
出来が悪かろうが、アホだろうか、
品格がなかろうが、
イエス・キリストを信じる者は、
みんな本物のクリスチャンなのだ。


もちろん、今あるところに留まらず、
人格的にも成長したいと思うのが、人の常だ。
ある有名な牧師さんが、
こういうことを書いておられた。


 「イエス・キリストは、
ありのままのあなたを愛してくださる。
そしてイエス・キリストは
愛するあなたの成長を望まれる」